次の文章を読んで、21~40 の問題に答えなさい。答えは選択肢A·B.C·Dからもっとも適切なものを一つ選びなさい。 ここ数年、「若年層における日本語の乱れ」を指摘する声が相次いでいます。このような議論は「今の若い者は...」というもの言いと同じで、(21 ) 大昔からあったことなのでしょう。若者の( 39 )流行り言葉(22 )大人が(34 )眉をしかめるというのは、基本的に今( 23 )昔(23 )変わらないのです。 けれど今は確かに過去のそれらとは違う、大きな変化が日本語に起き( 35 )ています。よく言われることですが、まずテレビを初めとするメディアの影響はかつてない( 24 )大きくなり、都市と地方で情報の差はなくなりました。 つまりテレビでタレントが使ったおもしろい言葉は、翌日( 36 )から日本全国の若者が同時に使うことができるのです。1人の人気タレントが発した言葉( 25 )、パッと日本語がそれまでと変わる...その速さは、実に今日的な現象と言えます。 しかしそれは(26 ) いけないことなのだろうか、という疑問があります。 なぜなら言葉というものは本来、善悪、正邪で測るものではなく、好きか嫌いかでしか判断できないからです。若者たちが使う日本語を「嫌いな」人たちが、新しい日本語について意見を述べているにすぎないのです。 例えば「見れる」「食べれる」などの「ら抜き言葉」も、一時期大きな話題となりました。もちろんこれは正しくない日本語である、という非難を(27)ことは皆さんご存知の通りです。 けれど現実に日常で意味が通じている(37 )のに、正しくない日本語であると否定( 28 )とするのはどうなのだろうか、と思うのです。 そもそもこの「ら抜き言葉」は日本語史的にいうと、「可能型」(見れる、食べれる)と「受身形」(見られる、食べられる)に意味が区別しやすい(29)一段活用動詞が変化したものだ、と(38 )考えられるのです。( 30 )これは、日本語がより進化した形だということもできるでしょう。 このように言葉は常に変わっ(31 )ものであり、それは同時に言語社会を映す( 40 )鏡でもある(32 )です。どの言語社会の言葉も時代と共に変化していますが、日本語は特にそのような性質を持った言語であるとも言えるのです。 事実、現在「ら抜き言葉」がどうなっているのかといえば、今やもう日常語として定着している(33)でしょう。新聞やNHKでニュースを読むアナウンサーはまだ使っていませんが、民放テレビのアナウンサーが使う場面はしばしば見られます。