次の文を読んでの問いに答えなさい。 敗戦を語る 50年前の8月15日、「軍国少年」だった私が、敗戦という 現実に直面して感じた素朴な疑問は二つだった。一つは、負け るはずがない、と教え込まれ信じ切ったこの戦いになぜ負けた のだろうかということ、もう一つは、一体この戦いは何だった のかということだった。この疑問は、程度の差はあっても、恐 らく当時のすべての人々が感じられたことではないか、と思 う。そして50年、半世紀が経過した今、この50年を生き抜き 還暦という人生の節目を過ぎ、ある意味では成熟したー市民と して、そして政治の道を歩んでいる人間として往時を省みる と、少年時代に抱いた疑問のうち中核の部分が、なお疑問とし て根深く心の底に沈澱しているように感じられるのである。 1995年の一年間、敗戦50年の節目に当たって、さまざま な人々が、それぞれの立場で敗戦について語った。メディアで もさまざまな企画が組まれ、国会でも決議をめぐって論戦が闘 わされた。国民的に広く論議されたと言ってよい。しかし、そ れらを振り返ってみると、前述の素朴な疑問について、全国民 的なコンセンサスの得られた答えが出されたとは、とうてい言 えない。私の抱いた疑問も心の底に深く貼り付いたままであ る。 私ども日本民族が、未来に向かって大道を歩むに当たって、 この点についてしっかりとけじめのついた共通の認識理解を共 有し、子供や孫の世代に伝承することが必要であると私は思 う。そう思うがゆえに、これから私なりに、私の抱いている疑 問について真つ正面から取り組んでみたいと願い、筆を執った 次第である。 問 1. 「少年時代に抱いた疑問のうち 中核の部分 が、 ... 」にある 「中核の部分」は何を指しているか、次から選びなさい。