ひとりの子どもの話です。 仕事で疲れ切って、家ではごろごろ(注 1 )してテレビばかりを見ている父親はあまり存在感がない、まるで透明人間みたいだ、という子の文章がありました。 1 これ ではいけない。子どもたちに、父親が働いている姿を見せたらどうか。そういう意見もあって、ある母親は子どもを連れて、父親が働く工場へ行くのです。 その子が参観(注 2 )の記を書きました。 「友だちのおとうさんが、どこかの課長さんだとか、放送局につとめているとかいうとき、私はいつもだまっていました。『わたしのおとうさんは工場のコックさんだ」というのが、なんだか2 はずかしくてならなかった のです。でも、わたしは、きょうからそれが( 3 ) いえるような気がします」 その子は初めて、白いコック帽をかぶった父親の働いている姿を見ます。野菜サラダを作っている。ぴっくゆするほど早い手つき(注 3 )でてきぱきと(注 4 )仕事をすすめている。 「今まで、あんなおとうさんを見たことがありませんでした。何か4 よその人のような気がするくらいでした 。でも、やっぱりわたしのおとうさんでした。おとうさんは、はずかしそうな顔などちっともしていません。わたしだけが、なんではずかしがっていたのかと思うと、なんか5 わるい ことをしていたような気がしました」 お昼のサイレンが鳴る。大勢の工員さんたちが集まる。「大勢の工員さんたちが、待ちかまえて(注 5 )いたように食べているのを観ると、わたしまでなんだかうれしくなりました。6 みんな 残さず食べてもらえるかと、じっとそれを見ていました。 現場を踏んだことで、子どもの父親観(注 6 )が変わるのです。みんなが残さずに食べてくれるだろうか。そう思ってじっと見ている子の7 心臓の音が伝わってきます 。「お父さんの働く場所」という現場で、子どもは家にいる父親とは別の父に出あうことができたのです。 ( 注 1) ごろごろする:特に仕事もしないで過ごす ( 注 2) 参観の記:見学したときのことを書いた文章 ( 註 3) 手つき:手の動かし方 ( 注 4) てきぱきと:適切にどんどん仕事を進めていく揃チ ( 注 5) 待ちかまえる:すぐに対応できる姿勢で待つ ( 注 6) 父親観:父親についての見 方