写真家の北井一夫さんから教えてもらったことでもあるのだが、僕は写真は50・50の表現物だと思っている。カメラを間に置いた向こう側とぼくとの表現性が、フィフティ・フィフティ(注1)の割合で成り立っている。つまり100パーセント僕の表現だと恐れ多くていえないのだ。向こう側が表現しているものをカメラでサッと横取りして(注2)いるにすぎないでも一方で、その表現だと認めてカメラを向ける僕がいるからこそ、向こう側の表現が生かされて像に結実する(注3)わけだ。 注1:フィフティ・フィフティ:50対50、半分ずつ 注2:横取りして:奪う 注3:~~に結実する:~~として完成する 59 筆者は写真をどのようにとらえているか。